【任意売却の実例】不良債権処理の現場、悪徳業者の排除

不良債権となっている不動産の所有者には、それぞれ複雑な事情を抱えている場合が多いものですが、長年不良債権処理業務を行い様々なケースを扱ってきた当方でさえ、この物件の所有者は驚くような不条理な理由で債務者となってしまった事案です。

私は所有者からこれまでの経緯をお聞きして大変憤りを感じ、この善意の所有者のために何としてでもこの不良債権処理をまとめようと強く思いました。しかし問題の解決には約1年という長い時間を要しました。

きっかけはサービサーからの依頼

きっかけは、ある会社より紹介されたサービサーからの依頼でした。依頼内容はサービサーが債権者代理(競売申し立て権者)となっている物件を債権回収のため売却して欲しい…というものでした。

当該物件は私が依頼を受ける以前に2度競売になっていましたが、豪邸であることから最低売却価格が高く設定され、いずれも入札がなく売却に至っていませんでした。しかし債権者としては一刻も早く物件を売却して、できるだけ早く、そして多くの債権を回収するため、多くの不良債権処理を行なってきた当方に、競売に比べ高額で売却ができる可能性がある一般売買(=任意売却)」を依頼してきたのです。

物件の所在地は福岡市東区唐原、JR「九産大前」駅から徒歩3分という立地で、建物は平成3年築のバブル末期に建てられた豪華な仕様のRC造、9LDKの2世帯住宅です。一般流通市場での販売価格は約4,200万円程度と評価できましたので、私からサービサーに対し前回競売で回収出来なかった4,000万超の回収が可能と回答し、依頼を受諾しました。

サービサーから依頼された物件/唐原戸建の物件概要

所在地福岡市東区唐原
面積土地:681.19㎡ ・ 建物:261.43㎡
構造鉄筋コンクリート造2階建て
築年数平成3年11月

依頼を受けたとき既に2回も競売になっていました。

平成15年3月競売最低売却価額:4,933万円
入札なし
平成15年7月競売最低売却価額:3,946万円
入札なし

しかし当該物件には他の抵当権者(債権者)もあり、都市銀行と地銀系リース会社、更に税金等の延滞で東区役所も債権者となっていました。任意売却を成立させる為には全ての抵当権者(債権者)と所有者(債務者)の同意が必要です。全ての利害関係者との交渉で案件をまとめるのは大変な仕事です。でもそれが任意売却をまとめる唯一の方法なのです。

所有者にお会いして

物件売却の話を進めるためには、所有者から当方に対し任意売却の交渉に関する委任状を出してもらう必要があるため、状況を把握するために所有者に直接会って話を伺うことにしました。所有者S氏は元高校の教諭であり、退職後は所有している賃貸マンションビルで塾を経営されているとても実直な60代の男性でした。もともと近隣では有名な地主一家で、今回任意売却の対象となっている物件の2世帯住宅に、義母と二人でお住まいでした。そして所有物件が競売になっている状況に、とても不安を感じられていました。

そこで詳しいお話を伺ってみると、多くの事実が判明しました。 まずその時点で所有している不動産は、サービサーから依頼された居住中の物件と16戸の賃貸マンションの2物件でした。

もう1つの所有物件/賃貸マンションの物件概要

所在地福岡市東区香住ヶ丘
面積土地:1,004.81㎡ ・ 建物:1,256.01㎡
構造鉄筋コンクリート造4階建て
築年数平成2年7月
間取3LDK×14,事務所×2

これらの不動産は、S氏の父親の死去により相続したものでした。そして以前は数棟のアパートなど更に多くの不動産を所有していたとのことでした。しかしそれらは全て売却され、私がご相談をお受けした時には所有不動産はこの2物件のみでした。

またS氏は不動産を相続した時点では、父親の負債について把握しておらず、相続で所有した物件が差押になるという裁判所からの通知を受け、初めて知られたということでした。つまり所有者は父親から相続した不動産と共に、多額の負債も相続していたのです。もちろん不動産(財産)の相続と同時に負債も相続することは、法律上なんら問題はありません。しかしその負債が生まれた経緯は、非常に不可解で理不尽なものでした。

悪徳業者の登場

負債が生まれた経緯は、S氏の父親の代に遡ります。所有者の父親は地元有数の地主でした。多くの不動産を所有し、何不自由のない生活を送っていましたが、その大きな資産である不動産にM建設という会社が目を付け、父親と義母に近寄りました。M建設は父親の信頼を得るために飲ませ食わせの接待を行い、ついに平成3年、会社とは全く関係のないS氏の父親の不動産を担保に、都市銀行から巨額の融資を受けることに成功したのです。

その後、平成12年に父親は死去。不動産はS氏が相続をすることになりました。M建設がまっとうに債務を返済していけば、何ら問題はなかったのですが(問題のない会社は、他人の土地を抵当にお金を借りたりはしませんが)平成14年、なんとM建設は巨額の債務を残したまま倒産してしまったのです!そして残った借金は、何も知らない抵当権が付いている不動産を相続したS氏へと廻ってきてしまったのです。

この時、所有者は居住中の物件以外にも多くの負債付不動産を相続していました。今度はこれに目をつけた、新たな不動産業者Kが登場します。この不動産業者Kは、知らない間に多額の負債を抱え困っているS氏に言葉巧みに近づきました。S氏の保有する不動産が「このままではこの物件も競売にされてしまう」「自分が管理することで収益を上げましょう」と提案、その不動産業者Kを取締役として、S氏の資金で会社まで設立して、この会社に物件の所有権を移してしまったのです。そうして、この不動産業者Kは代表取締役となり、S氏が所有する不動産の売買や賃料の管理を自ら行うことができるようになったのです。

これら一連の流れを聞いた私には、所有者と亡くなった父親は、既に実在しないM建設や怪しげな不動産業者から騙された結果、現状に至っているとしか思えませんでした。しかもS氏は当方が話を聞いた時点でも、所有していた不動産の売却などについての細かい金銭の流れを全く理解していない様子で、限りなく怪しいその業者Kをおかしいとは思いながらも、未だ信頼しているように見受けられました。

こんな輩がいるから不動産業者がダーティーなイメージを持たれるのです。

その後、私は様々な資料を見せていただき更に驚きました。所有していた多くの不動産は、その他の不動産業者らによって売却代金などの流れも全く不透明のまま、通常より格安な金額で売却されていました。結果的にS氏の手元には一銭も残らず、その上、ご自宅を差押さえられてしまっていたのでした。

S氏はとても人を信じやすく、私が丁寧に話を聞き、ひとつひとつおかしい点を説明していくと「…では、堤さんに今後のことをいろいろお願いできますか…?」と、初対面の当方に対し自宅の権利書等も預けようとされました。この様な方でしたので、このままでは所有者は回りに張り付いている悪意を持った人間達に、最後の最後まで搾り取られてしまうに違いないと感じたのです。

そこで私は、この所有者のために多くの人や債権者が複雑に絡み合い、解決には相当な労力と時間を要する覚悟で不良債権処理を行おうと決意を新たにしたのでした。

これで良いのか!?債権者である大手都市銀行!

更にS氏からの話は続きます。S氏は父親の残した多額の負債を知り、債権者に対して「所有不動産が抵当になった経緯があまりにも不可解で正当なものとは言えない事、M建設が無関係である父親の所有する不動産を抵当に借り入れた資金がどのように利用されたのか全く把握出来ていない事、物件をM建設に担保提供した際の抵当権設定の同意書等の筆跡が明らかに本人の筆跡ではない事、銀行が父親に対し意思確認を行っていない事…等を理由とした債務不存在の訴えを裁判所に起こしました。しかし通常なら負けるはずのない裁判が、なぜか敗訴となっていたのです。さらに担当した弁護士からも「相手が都市銀行でなければ勝っていた。」と言われる始末です。

債権者である銀行側には融資をした事実が確かにあります。しかし明らかにS氏も被害者であるこの裁判が敗訴になっているという事実は、銀行側が企業という圧力をかけてきたとしか思えない、許しがたいものと感じたのです。

更に必ず勝てるはずだった裁判に、1,000万円以上のも莫大な弁護士費用を使い、S氏はもう争うことも出来ず、結果このような状況に至っていたのでした。

このように多くの問題を抱えていたこの案件。サービサーの希望はもちろん重要です。しかしそれだけでなく、一連の不良債権処理業務が終わったとき、どうすれば所有者が晴れ晴れしい気持ちで新しい一歩を踏み出せるようにしてあげられるか…、それも重要な課題となったのです。

まずは自宅の売却です

過去2度の競売でも落札されず、平成16年2月に3度目の競売公告が決まりました。この時の最低売却価格は、さらに低く見直され24,342,000円(前回比;1,500万円ダウン)でした。4,000万円以上の債権回収を希望する債権者にとっては、この金額からの入札ではたまったものではありません。そこで当方に任意売却を依頼した後、裁判所に延期申請を行いました。

再度、公告されるまで約3ケ月、その間に売却しなければなりません。早速、各債権者と何度も連絡・交渉を行い、ようやく担保抹消の同意を得る事ができましたので、販売金額を4,580万円に設定し、関連会社と協力して新聞広告や折込チラシ等、精力的に広告活動を行い売り出しを開始しました。そして最終的に4月下旬に行ったオ-プンハウスにご来場のお客様に、4,380万円で購入していただきました。

契約終了後、同居していた義母とは別居する事で一致していた為、引越先の部屋探しです。無職のご老人で連帯保証人もいない事から、なかなか見つかりませんでしたが、私の先輩(香椎の不動産業者社長)の協力で、なんとか転居先も見つける事ができました。そしてS氏は、とりあえずもう一つのビル(経営している塾の事務所)に転居されました。

物件の売却については最終的に、買主様の住宅ロ-ンの関係で5月20日に無事取引する事ができました。この時は既に次の競売のスケジュ-ルが決まっており、5月31日から入札が始まる予定でしたが、無事、「取下」となり一件落着です。

次はビルの売却です。

入り込んでいる業者の排除、そして債権者との交渉

入り込んでいる業者Kは、設立させた自分の会社(S氏の賃貸マンション)の管理業務を行っていました。しかしそれらについて調べていくと、業者は毎月の収支をS氏に開示することもなく、更に入居者から預かっている敷金も不明となっている等、多くの不正が判明したのです。

また設立させた会社の実印及び通帳に至るまで、業者Kが管理をしていました。しかし物件の任意売却には所有者の同意が必要です。既に物件の名義をS氏に設立させた業者Kの会社に変更しているため、下手に動くと面倒な事になりかねません。私と所有者で話し合った結果、まずは任せていた不動産管理業務や物件売却依頼を、業者Kから所有者の意思で私の関連会社に移行をするようにしました。

その後、私がS氏の物件の管理を行っている業者Kと面談をして存在を知らせ、悪行をこれ以上起こさせないよう圧力をかけ、何とか真の所有者であるS氏に会社の代表者変更を行い業者Kの排除に成功したのです。

その一方、私はそれぞれの債権者に対し不良債権不動産の売却金額を査定します。そしてその根拠と共に、売却によって所有者が返済する残債金額の交渉を進めていきました。

債権者との交渉は、困難がつきものです。それは、債権者にとって任意売却の交渉で示される返済金額とは、融資した金額が全て返済されるのではなく、提示された金額を返済することで、融資の際に設定した抵当権(登記)を抹消する、ということになるのです。つまり債権者としては、少しでも高く債権回収をしなくてはいけないため、すぐさま提示された金額に対し、首を縦に振るわけにいかない、という債権者それぞれの事情があるのです。

債権者側も、任意売却の実績がある私の査定書に対し、いたずらに交渉を長引かせれば、それだけ債権回収の時期が遅れてしまうことを知っています。このような状況の中、債権者との交渉をスムーズに進めるためには、私としても債権者が納得しやすい物件の査定と売却金額を出すことが重要になるのです。

それにしても債権者によっては全く話にならない、失礼な対応を受けることもありました。(このときは大手地銀でした)そこで、違う方向から話を持っていくと手のひらを返すように対応が変わるのです。このような対応を目の当たりにすると、憤りを感じるのを超えて呆れてしまったものです。

この事例の任意売却の流れ

当初の依頼では、所有者の自宅を売却する…というものでしたが、結果的に、もう1つの所有物件である賃貸マンションも債務整理をして売却することになりました。ちなみに、他の不良債権処理も以下と同様の手順を踏みます。

この不良債権処理のポイント

債権者に対しては競売でも売ることのできなかった物件の債権回収をスピーディーに行うことができた。
所有者に借金を残すことなく不良債権処理を行うことができた
物件を買った買主にとっても優良物件を安く購入することができた

最終的に1年以上の日数を要しましたが、無事に不良債権処理を行えることができました。

その後所有者の方は

今まで居住していた家屋を売却し、多くの資産を手放さなければなかったS氏。しかし全ての整理をやり終えたとき、私に対して本当に感謝をしていただきました。物件も競売にかかることなく幾分かの引越し費用を残すこともできました。そして何よりも不安の中での生活から心機一転、新しいスタートを切ることが出来たのです。

あまり折り合いが良くなかった義母とは、お互いの希望から居住地を別とし、義母の賃貸物件は私がお世話をさせていただきました。そして所有者は、以前教師をしていたときの教え子の紹介で唐津市七山村に転居、昔からの夢であった竹炭を焼きながら田舎暮らしをすることになりました。現在も年金暮らしではありますがつつましい、でも誰に気兼ねすることのない平穏な生活を営まれています。

この案件は、多くの時間と労力が必要とされましたが、最終的に所有者に負債を残すことなく債権者に借金を返済することができました。そして物件を売却したことで私にもそれなりのメリットがありました。

しかし一番良かったのは、所有者が安心して新しい生活を始めることが出来たことだと思います。この所有者とは今でもお付き合いをさせていただいております。

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